人間にできることは感じるということだけ
正しいかどうかは知らない。
私が感じたことをただただ書く。
人間にできるのは感情を持っていると自覚することだけ。
こうやって私が描いている人間像も、私が感じた人間像に過ぎない。
観測した事実を述べたとしても、それは何らかの五感、知覚を通して観測できたもののみしか事実として存在しない。
誰かが嘘をついたとしても嘘を本当だと感じる人には本当になる。
誰かを評価するのもほとんど感じたことに基づいている。
おいしいと感じる、生きていると感じる、これがいい、これがやりたいと感じる、結局それだけ。
合理的にどっちがいいかというのもただ一つの指標を勝手に決めてあーだこーだ言ってるだけ。
子供のころ、正しいとされていることを教えられてきて、一生懸命に生きてきて、ある程度の正しさみたいなものをみにつけたと感じているが、その正しさなんて結局意味ないと感じている。
社会が決めた、社会的な正しさ。感情的な正しさとは別物。
そうやって、いま、これまで培った正しさとかに疑問を持ち始めた。
これも、新たな一歩。これまで培った正しさが悪いわけではない。しかし、必要ではあるが十分ではなかった。大体は良くても、物足りないというか、さらに自分の理想に近づくには社会的な正しさだけでは不十分だと感じた。
これからは、これまで培ったことも活かしながら、多様な側面で判断していきたい。
感情任せにすべてを解放するだけでは疲れを感じるし、社会的な正しさだけでも抑圧を感じてしまうのだから。何事もバランスだよな。