てきとーにゆるゆるかく

目標:1年半続ける。文章表現を向上させる。

謎の苦しみ・焦り・恐怖

本日は、私が時たま感じる謎の苦しみ、恐怖、焦りの感情について書きたいと思う。

バイオリズムなのか何なのかわからないが定期的に穏やかではない気持ちになる。
とてもハッピーで万能感に満ち溢れているときもあるが、反対に何かに追われているような、漠然とした恐怖を感じる。
怖くて動けないほどではないが、とりとめのないことを考えるのにエネルギーの一部をもっていかれたり、恐怖に意識が行ってしまったりして今を集中して生きられていない状態になる。

今回の自分を支配する感情の1つは、殺してくれという感情。実際には死にたいわけではない。やりたいこと、やらないと死ねないことがたくさんあってその途中であることは自覚しているし。なぜそう思うのかはわからない。
考えられる原因としては、こういう風に生きたくないという状況がいくつかあり,その気持ちが死んだほうがマシという考えを生み出しているのかもしれない。
このように生きたいという理想 >>> 理想に向かって生きる > 途中であきらめる(積極的な死) > 道半ばで惜しくも死ぬ > 理想が実現せずやりたいことができないまま空虚に生きる 
何となくこんな順番のように感じているのかもしれない。

でも実際はその順番通りでないはず。理想にフォーカスしすぎて適切に判断ができていないだけで、実際は理想が実現しなくて生きても楽しいことはあるとわかってはいる。冷静に考えると。

ただなぜかGAME OVERを恐れて苦しんでいる。GAMEの最中に。それじゃ楽しめないの当たり前。
GAMEはいつか終わる。ハッピーエンド、クリアで終わりたい。
途中でタイムアップしてGAME OVERになりたくない。
その気持ちはわかるけど、だからといってゲームを投げ捨てるの?投げ捨てたって同じゲームはもう2度とできないよ。
今タイムアップになる確率だって低いんだし、楽しんでかつクリアをしたほうがいいでしょ。
クリアすることに縛られすぎだよ。そもそもそのゴールも自分で設定したゴールなんだし。

でも、目的なく歩き続けるのも苦痛だから、自分でゴールを設定してそこに向かって生きてくのも支えになっている。
夢や希望がないわけでもないんだよね。むしろ夢や希望があるから生きてけていて、夢や希望がない状態でただ生きるということがなんか難しいのかもね、人間には。

まあ、野生動物は生きることに必死で、食べたり、食べられたりという生存競争の中で、今日ご飯を飛べること、今日的に食べられないことを目標に生きていけばほかのことなんて考える必要がないのかもね。
逆にそんなこと考えてたらほんとにごはんにありつけなかったり、食われて死んだりしちゃってるから、そこでGAME OVERになるもんね。

今の私は生存競争の必要がなくて敵からどう逃げるかとか、どうやって狩りをしていくかとかに頭使わなくてよくなったから、考える能力が余ってる。この持て余した能力が内なる敵となって自分を脅かすわけね。敵がいないから自分の中に敵を作ってしまう。

敵を見つけるのがいいかもしれない。